2014年8月8日金曜日

【行った】入谷のラーメン屋「麺処 晴」

昨日、仕事で入谷に行く用事がありちょうど昼時だったんで何か食べようとGoogleで【入谷】って打ったら検索候補で【入谷 ラーメン】って出て来たんですよね。そしたらもうラーメンの舌になるじゃないですか。Googleセンセの言う通り【入谷 ラーメン】で検索してたら、「麺処 晴」というお店がめっちゃ旨そうだと言う事が分かり、駅からは目的地と逆方向だったけど向かったんです麺処にあの暑い中。歩道橋を降りる途中で麺処の看板を見つけた俺のワクワク分かりますか?つけ麺を頼むのは決めてたんですけど、卵も入れるかどうかめっちゃ迷ってたんです。まあ券売機の前に立ったら卵入りにしちゃうんだろうな〜、たまには昼に贅沢しないとな〜なんて思って店に近づくじゃないですか。そしたらまさかの臨時休業じゃないですか。店主が熱中症になったって言うじゃないですか。暑いからな〜仕方ないわな〜今回は残念だったけどまた来るわな〜なんて思いながらふと右手を見るとめっちゃ強く握り締めてました。悔しかったんですかね。でも僕にはまだGoogleセンセがいるんで、他にも【入谷 ラーメン】で検索したお店めっちゃあるんで。他んとこ行くわ!なんて思いながら歩いてたらどんどん時間なくなるじゃないですか。目的地に向かいながら良さそうなお店でお昼食べよ、と思いながらどんどん歩いてるんですけど全然なくて、いよいよ時間がギリギリだぞって時に見つけたお店分かりますか?そう、すき家です。すき家では牛丼ライトを食べます。
皆さんも熱中症には気をつけて。

http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131104/13143115/

2014年5月13日火曜日

あの日食べたはずのおふくろの味を僕はまだ知らない

タイトルは適当ですすみません。 

先日、母の日がありましたが、僕は自分の母親には何も贈りませんでした。 事前に母から「母の日の贈り物はいりませんよ。自分の家中心にやってくださいね」と言った内容のメールがあったからです。

それまでは毎年何かしら贈っていたような気がします。カーネーションとお菓子のセットだったり。よくデパートとかコンビニに置いてある、母の日ギフトのチラシに載っているようなもの。高校生のときはわずかなバイト代で母と父二人分の湯呑を買って贈ったような。その湯呑はしばらくのちに「もらったことを覚えていない」という母の言葉を引き出すのですが、それはまた別の話。

記憶にある中で確実なのは中学生の頃、もしかしたら小学校高学年になった頃には、僕は母親のことが嫌いでした。言ってることがコロコロ変わるし。人の気持ち考えないし。お年玉を貯金しておくっていったのにいつの間にかなかったことになってるし。よくある思春期/反抗期とはまた違い、僕は人間として彼女のことが嫌いでした。よく怒鳴りあっていた覚えがあります。やっていたゲーム機のコントローラーを投げつけてしまったこともあります。

それでもおなかをいためて産んでくれたたったひとりの母親だし、なんて思いはとっくに消えてしまいました。今もそうです。彼女の存在は僕にとってとてもストレスです。母が、これは父に対しても同じ気持ちですが、僕の家族になにか面倒なことを起こそうものなら激おこです。長女が引くほど冷たい態度で接します。

それでも、最初に書いたように母の日になれば贈り物をしたり、たまに体調を気遣うようなメールを送ったりもするのですが、それは完全にアリバイ作りというか、俺はちゃんとやってる。でもあの人(母)はおかしい。という設定を守るためなんだろうと思います。ひどいですね。


思い出の話をします。
僕の実家ではほとんどの家事を父がこなしていました。食事作りも洗濯も、掃除は少し苦手だったようですが、それが普通だと思っていました。一方、母は家ではほとんど何もしません。していたのかもしれませんが僕の記憶には残っていません。仕事がとても忙しかったのでしょう、家に帰っても持ち帰った仕事を夜まで続けていました(父もそうでしたが)。そんな中、母がたまに料理をすることがありました。よりによってカレーです。僕にとって一番美味しいカレーは父の作るカレーとCoCo壱番屋のチーズカレーと、いなばのグリーンカレー(缶詰)です。



もう一度書きますが、よりによってカレーです。CoCo壱といなばのグリーンカレー缶は後発ですので、僕にとってカレーは父の作るものがシェア100%の時代です。そのリングで戦おうと言うのですから大した度胸です。母はなんとスパイスを買い込み、市販のルーではなく粉から作り始めました。味は記憶にありません。「忘れられないおふくろの味はなんですか?」なんて質問は今のところされたことはありませんが、もしされても僕はそれに答える言葉がありません。


もうひとつ、思い出の話をします。
今ではほとんど見かけませんが、昔は学校や公園に登り棒がありませんでしたか?小学校1年生か2年生のとき、実家から少し歩いた空き地に登り棒がありました。運動できることが大きな価値を持つ小学校低学年にとって、登り棒を登れるか登れないかはイコール格好いいか格好よくないかということでした。何回か何十回かの練習の結果、幼い少年は登り棒を登るスキルを得ました。誰に見せたいかってそれはもう母親しかいないですよね。母が見守る中、登り棒に登る僕、それは記憶にあります。唯一、母とのあいだで負の感情を伴わない記憶として僕の中にあります。母の記憶にはその光景はまだ、残っているでしょうか。


あの登り棒の記憶は年に一度くらい思い出します。この前実家のほうに行ったら、あの空き地はもうなくなっていました。

果たして、この記憶は本物だろうか?とも年に一度くらい考えたりもします。



2014年4月3日木曜日

【俺の】久慈名店メモ

チリの地震の影響で東北地方に津波が来ているようでとても心配です。
昨年9月と10月あたりに何度も久慈に行く機会がありました。そこで出会った人たちは、近すぎず遠すぎず、絶妙な距離感でどこの誰かも分からない僕を自然に受け入れてくれて、慣れない土地で四苦八苦している僕はとても助けられた覚えがあります。

久慈で通ったお店のメモを備忘録として。皆さんも是非行ってみてくださいね。

〜私的久慈名店リスト〜

①ふるさと【焼き鳥・串焼き】 ( http://tabelog.com/iwate/A0304/A030404/3001589/ )

鳥串盛り合わせ8本が何と600円。ろ、600円!?美味しい。陽気なマスターと女性の店員さんの掛け合いが楽しくて、ついついビールが進む。お通し代わりのキャベツも美味。 <通った回数:3回> 


 
②カフェロケッツ【BAR】 ( 
Cafe Rockets  カフェロケッツ )
BARと書きましたが料理も美味しくて最高。個人的には久慈でベストのお店です。輸入ビールも沢山。ニューヨークで働いていたというマスターの好みが反映された内装はまるでアメリカのダイナーにいるよう。マスターすごくいい人です。久慈に行く度に顔を出したいお店。ビンテージのファッションやメガネの話、めちゃめちゃ面白いです。<通った回数:4回>

 


③モカ【喫茶店】 ( http://bit.ly/19to4fu )
ドラマ「あまちゃん」の喫茶リアスのモデルとなったお店。「ザ・喫茶店」といった感じの店内はとても落ち着きます。東北の人らしく、シャイではありますがお話をすると本当に優しいマスターご夫婦。ナポリタンが絶品でした。不動の生涯ベストナポリタン決定。名物のエッグサンドは持ち帰りもOK。夜はお酒も飲めるのも「スナック梨明日」のよう。
<通った回数:2回>

 



④道の駅くじ やませ土風館 ( 道の駅くじ やませ土風館 )
久慈駅から歩いて5分ほどにある観光のハブポイント。地元の名産品やあまちゃんグッズなど、久慈のお土産はここで揃います。地方発送もOK。レストラン「山海里」では三陸の海の幸を味わえます。向かいにある歴通路(れとろ)広場にも食事が出来るお店がたくさん。ウニ丼もあるよ(2300円!!!)
<通った回数:3回>




⑤小袖海岸(小袖海女センター) ( http://www.iwatetabi.jp/spot/detail/03207/54.html )
ドラマ「あまちゃん」では袖ヶ浜として登場していたのが小袖海岸。7月〜9月は海女さんの素潜り実演を見ることができます。市街ではあまり感じることのない震災の影響も、こちらでは実感出来ると思います。小袖海岸に行く道は細い山道で対向車とすれ違うことが難しい場所もあり、観光客の多いシーズンの週末はマイカー規制も。久慈駅からバスですぐなので乗り合いで行きましょう。まめぶ汁も食べられます。
<通った回数:1回>





久慈にまた行きてええええええ



皆さんが久慈に訪れる時に参考になれば嬉しいです。



2014年3月29日土曜日

【読んだ】ママだって、人間 (田房永子)

自分のこと、そんなに格好つけたい訳ではないけど悪くも思われたくないし、心の奥底にある感情をぶつけても理解してもらえないんじゃないか。それなら当たり障りのないやり取りをして、その場をしのげばいいや。なんてことを続けているうちに、いつの間にか当たり障りのない自分が出来ている…なんてことありませんか?私はあります。


「母がしんどい」という田房永子さんが描いた本がありまして、僕はその本を読みながら自分が小さい時の母親との関係、触れ合う回数が少なくなった今では忘れた振り、見て見ぬ振りをしているつもりだったそれを思い出し、心臓をバクバクさせながら読んだものでした。

その田房さんが出した新作が「ママだって、人間」です。


 田房さんが妊娠、出産、育児を通して疑問に思ったこと、納得したこと、衝撃を受けたこと、幸せに思ったことなどなどをコミックエッセイのかたちで綴っています。

よくある出産・育児本、と思ってページをめくった人は、第一章からびっくりするかもしれません。
高校の時の先生が「つわりは辛いけど、これが終われば赤ちゃんに会えると思うと頑張れる!」と言っていたのを思い出す田房さんですが、妊娠初期の彼女はそんなイメージではつわりを乗り切ることは全く出来ません。つわりに苦しむ彼女を何が勇気付けたか、それは「出産したら感度が上がる」という、どこかで読んだ都市伝説でした。

「でも本当だったら 楽しみだな」(8p)


この本では赤ちゃんの可愛さや自由奔放な幼児の姿はほとんど描かれません。
描かれるのは、出産直後に「大変なものを 生んでしまった」(52p)と途方に暮れたり、赤ちゃんと歩いていると判で押したように「育児は大変でしょ!」と何度も何度も言われるうちに「夜眠れずとても大変ですが赤ちゃんがかわいいのでへっちゃらです」(70p)と言った何となくその場が治まるような返答を身につけてしまったり、女の子の赤ちゃんのおまたの洗い方に自信がもてなかったり、夫への不満から1泊のプチ家出をしたり元彼をフェイスブックで検索したりしてしまう、きっと僕たちの周りに沢山いるはずだけれど、それをあまり口には出さなかった人たちの姿です。

妊娠、出産、子育てというそれまでの人生を大きく変えてしまう出来事が起こり、苦しみ、悩み、あがく姿を田房さんはこの本で惜しみなく描いていますが、それについて今まであまり語られることなく、「生んでしまえばなんとかなる」と言った、「世間が認知するお母さん像の枠」(70p)にはまっている言葉ばかりが流通している現状をもたらしたのは、苦しみ、あがいていた自分の姿を知られたくない、それを語っても理解してもらえない、といった思いがあったことも大きな理由なのではないか、と感じました。

僕たち男性も、いい加減に「おっぱいがないから女の人にはかなわない」とか、「お腹の中に10ヶ月もいたから子どもと母親との結びつきは絶対だ」などという、母となった女性を自分が育児に関わらないための都合のいい存在にすることはやめて、妊娠・出産も自分の人生の転機だと受け止めて、そこに四苦八苦していけばいいと思う訳です。

ママだって、人間

この当たり前の事実を痛い程思い出させてくれるこの本は、素晴らしい大問題作として何度も読み返したい作品です。